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原文:唐高僧鉴真,本姓淳于,扬州江阳人,年十四出家为僧。稍长,遍游长安、洛阳,寻问名师,专研戒律。唐天宝元年,应日僧普照辈延,东渡日本。
然东海风骤浪高,或船覆,或粮匮,或失向,历十二载,五渡未成。其时僧目盲,唯志不渝。天宝十二年,竟至日,翌年与奈良东建戒台,授戒法。
注解:
(1)稍:渐渐。
(2) 骤:急; 或:有时; 覆:倾翻 ;匮:缺少。
(3) 渝:改变。
(4)竟:终 ;翌:第二。
白话释义:唐朝有个有名望的和尚叫鉴真,本名叫淳于,是扬州江阳人,14岁出家为僧。渐渐长大,周游长安与洛阳,拜访名师,专门研究佛教清规戒律。
在天宝元年,接受日本普照和尚的邀请,东渡日本。但是东海风急浪高,有时翻船、有时缺少粮食、有时失去方向。经历了12年,5次渡海都没有成功。那时鉴真已经失明,只有志向始终没变。天宝十二年,终于到达日本,第二年在奈良东面建起了戒台,教授佛教的清规戒律。
出处:出自唐代荣睿的《鉴真东渡日本》。
扩展资料:
创作背景:
鉴真,唐代赴日传法名僧,日本常称为“过海大师”、“唐大和尚”,俗姓淳于。扬州江阳县(今江苏扬州)人。
当时,日本佛教戒律不完备,僧人不能按照律仪受戒。733年(日本天平五年),僧人荣睿、普照随遣唐使入唐,邀请高僧去传授戒律。访求十年,决定邀请鉴真。
742年(唐天宝元年)鉴真不顾弟子们劝阻,毅然应请,决心东渡。由于地方官阻挠和海上风涛险恶,先后四次都未能成行。第五次漂流到海南岛,荣病死,鉴真双目失明,751年(唐天宝十载)又回到扬州。
在6次东渡日本中,鉴真等人遇到许多挫折,第一次东渡前,将和鉴真同行的徒弟跟一个和尚开玩笑,结果那个和尚恼羞成怒,诬告鉴真一行造船是与海盗勾结。地方官员闻讯大惊,派人拘禁了所有僧众,首次东渡因此未能成行。
其后接连失败,第五次东渡最为悲壮。那一年鉴真已经60岁了,船队从扬州出发,刚过狼山附近,就遇到狂风巨浪,在一个小岛避风。
一个月后再次起航,走到舟山群岛时,又遇大浪。第三次起航时,风浪更大,向南漂流了14天,靠吃生米、饮海水度日,最后抵达海南岛南部靠岸。归途中,鉴真因长途跋涉,过度操劳,不幸身染重病,双目失明。
鉴真最后一次东渡也并非一帆风顺。正当船队扬帆起航时,一只野鸡忽然落在一艘船的船头。鉴真认为江滩芦苇丛生,船队惊飞野鸡不足为怪,而日本遣唐使却认为不是吉兆,于是船队调头返回,第二天才重新起航,历尽艰险到达日本。
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原文
今(いま)は昔(むかし)、竹取(たけとり)の翁(おきな)といふ者ありけり。野山(のやま)にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使(つか)ひけり。名(な)をば、さかきの造(みやつこ)となむ言(い)ひける。その竹の中に、もと光る(ひか)竹なむ一(ひと)筋(すぢ)ありける。あやしがりて寄りて见るに、筒(つつ)の中光りたり。それを见れば、三寸(さんずん)ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「われ朝(あさ)ごと夕(ゆふ)ごとに见る竹の中におはするにて知りぬ。子となり给(たま)ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて家へ持ちて来(き)ぬ。妻(め)の妪(おんな)にあづけて养(やしな)はす。うつくしきこと限りなし。いと幼(をさな)ければ笼(こ)に入れて养ふ。竹取の翁、竹を取るに、この子を见つけてのちに竹をとるに、节(ふし)をへだててよごとに黄金(こがね)ある竹をみつくることかさなりぬ。かくて翁やうやうゆたかになりゆく。
翻译:
今となっては昔のことであるが、竹取りの翁という者がいたということだ。翁は野山に分け入っては竹を取って、いろんなことに使っていた。名前をさかきの造と言った。翁が取っている竹の中に、根元が光る竹があった。不思议に思って近寄って见ると、(竹の)筒の元が光っていた。それを见ると、三寸(约10センチ)ほどの人が、たいそうかわいらしい姿で座っていた。翁が言うことに、「私が毎朝毎晩见る竹の中にいらっしゃるので分かった。(私の)子におなりなさるはずの人であるらしい。」と言って、手の中に入れて(自分の)家へ持って来た。妻のばあさんに预けて养わせる(ことにした)。(その子の)かわいらしいことはこのうえもない。たいそう幼いので笼に入れて育てる。竹取のじいさんは、竹を取る时に、この子を见つけてからのちに竹を取る时に、节を隔ててどの节の间にも黄金が入っている竹を见つけることがたび重なった。こうして翁はだんだん金持ちになっていく。
3.讽刺日本人文言文汝,倭奴,日照邪神之子孙,千百年来,龟踞东洋之岛,无衣蔽体,食不果腹,茹毛饮血,正宗荒蛮一族。自窃我华夏文明于隋唐,始识以衣遮丑,人模狗样,方能以筷代手,免露野性。剽窃汉字区区,加以鱼钩,七拼八拼,方有今日不伦不类之倭文。习我笔墨,唯识书武一字,弃中华文化之精华如敝屐。
幕府横行而治,穷兵黩武,蓄武士,驱兵丁,举国深陷门阀之战。以至民不聊生,赤地千里,生计全无。窥我神州大地,物华天宝,人杰地灵。朝廷无能,兵疏防范。即时贼心顿起,乘季风之利,纷纷驾八幡之妖船,狺狺而渡海。犯我中华沿海,侵闽粤,袭江浙,攻小镇,屠乡村。抢粮夺物,杀人放火,无恶不作,暴行难书,倭贼所过之处,腥风血雨,哀鸿遍野。兽行一路过千里,倭害长犯数百年。
观近代,卢沟桥上枪炮响,倭奴换作成日寇,举国尽兴禽兽兵,铁蹄血腥踏神州。日寇铁蹄所至,奸淫掳掠,生灵涂炭;强盗屠刀所向,血流成河,尸骨如山。贼首大言不惭,用三月破神州。《捐躯赴国难,视死忽如归》。头可杀,血可流,华夏男儿七尺,岂能当倭国奴!《楚虽三户能抗秦,岂有堂堂中国空无人》。中华儿女齐奋起,大刀对钢枪,血肉筑长城,浴敌血,灭寇志,岂容日寇猖狂。八年艰苦抗日战,万里欢呼倭奴降。日寇虽降,九一八国难之国仇难忘,三千万国人因战争而死之民族仇难忘,南京屠我三十万同胞之血仇难忘!
恨无白起之将,让汝等双手染满国人鲜血之残兵降将,滚回倭岛,伏蛰龟息,休养生息。龟缩之际,不思不杀之恩,不思悔改,假寐以惑,暗中磨刀,筑建靖国神社,拜祭战犯亡灵,借东条英机之尸,还军国主义之魂。以至神社终日香火不灭,足以见贼心不死,妄复昔日之王道。竟敢言:日本东起,照耀九州四国。夫呸:斜阳西下,先灭贼岛倭国。嘲汝今日,金玉其外,败絮其中。红灯昌盛,黑道光明,女与色情有染,男和黑道结交,以男盗女娼之国而举世皆知。今仗美之利器,投身作奴做狗,扣押渔民,庭审船长,宣扬派出倭兵,强占钓鱼岛屿,欲扼中国,困东之门,是可忍孰不可忍。
巨龙醒,华夏起,病夫不再。斩印军于西藏之山,逐南越出西沙之海,保珍宝,克凉山,扬我国威军威于四海。吾辈敢执数代先人之血仇国仇而誓,倭奴胆敢犯寸土,举戚家之刀杀倭,挽后羿之弓灭日,犯我中华天威者,虽远必诛!